印刷機材商社 西部印刷機材株式会社 

代表挨拶(印刷の歴史)

西部印刷機材株式会社の企業理念は『三幸の精神』。

                            代表取締役社長 佐々木裕司

 この度は、西部印刷機材株式会社のホームページへお越しくださり、誠にありがとうございます。
 昭和45年4月創業から49年。西部印刷機材株式会社は、時代を見つめ情報産業を担う一翼となって社会に貢献してまいりました。スタート当時は、ちょうど活版印刷からオフセット印刷、オフセット輪転印刷への切り替え時期で、印刷業界にとっては大きなターニングポイントを迎えた激動の時代でした。
 現在、再びデジタル化という大きな波で印刷業をはじめとする情報産業、さらには社会全体が変わろうとしています。
 創立から48年、多くの皆様からご協力頂き、現在にいたっております。これまで社の方針として掲げてきた『三幸の精神』、お客様と一緒に伸びるという姿勢を大切に、これからもたゆまない努力で、皆様のお役に立ちたいと考えております。皆様と一緒に『幸福』になるため、私たちは今、何をするべきか。それが、西部印刷機材株式会社の永遠のテーマです。

壁に描かれたメッセージ。ここから、プリンティングの歴史はスタートした。 

壁画は雄弁に時代を語る。

人間の知的創造ははるか昔、古代エジプトにおいては、紀元前3000年以前に行なわれていました。新石器時代、アルタミラやラスコーの洞窟壁画に描かれた、人々のメッセージ。プリンティングは、もうこのときから始まっていたのです。都市を形成し、神をあがめ、王のもとで国家の一員として市民生活を始めたとき、そこには生活感情から派生する伝達の意識が芽生えます。いきいきと描かれた、古代エジプトの壁画は当時の生活を今日の私たちに、無言でいて雄弁に語りかけているようです。

より多くの人に。その願いが紙を生んだ。

人類の史上で、初めての紙はエジプトのパピルスだといわれています。新王国時代の墳墓からは、葬祭用パピルスが数多く出土し、当時の埋葬習慣などを伝える貴重な情報源となっています。より多くの人に、正確に情報を発信したい。その思いから生まれたパピルスは、現代情報化社会の基盤をつくる存在となっているのです。 

文明の申し子、三種の新器。

近代印刷技術は、ドイツのグーテンベルクによる印刷機械の発明で幕開けしました。ヨーロッパ・ルネッサンス(文芸復興)に、三種の新器の一つに数えられた、印刷機械。人類の文化の歴史が中世から近代へと移行したことを伝える、この発明によって、現代の印刷文化の基盤がつくられました。 

情報化は「かわら版」から始まる。

 我が国において、木版による印刷が盛んに行なわれ出したのは、江戸時代。商業が盛んになり、町人の間で文字の読み書きができる人が増えてくると、町人たちの間からも文学作品が生まれるようになりました。井原西鶴の「日本永代蔵」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が出版されたのもこの頃。また、かわら版と呼ばれる、半紙1枚の大きさの紙に刷られた新聞も、庶民の間で支持され、民間に情報を伝える媒体として活躍しました。 

技術は、海を越えて長崎へ。

1860年代、ドイツにおいてはすでに1時間に2万枚以上の印刷ができる技術がありましたが、その頃の日本は、まだ1枚1枚手で刷る木版印刷が中心でした。我が国に近代の技術が入ってきたのは、鎖国が解かれた後。1869年、日本の印刷の父と呼ばれる本木昌造によって、日本ではじめて邦文活字の製造、販売会社が長崎につくられました。 

日本の夜明けに人々は、文字を満喫する。

明治9年につくられたある図書目録によると、明治元年から9年にかけて日本で発行された本は約3900点。いかに、当時の人々が、新しい知識と情報を待ち望んでいたのかが推し測られます。明治3年に、日刊の新聞(横浜毎日新聞)創刊、明治14年、紙幣の印刷開始。日本の夜明けは、新しい文化を大きく開花させたのです。